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2022
  • Apr.02
  • PERSON

あらためまして代表のナイトウシュウイチです
「僕の原点そして始まり」

 

こんな風に、ブログで自分のことを書くのはいつぶりだろう。

思い出せないくらい昔のことじゃないかな笑

今回、グラッシーデザインのウェブサイトを新しくするにあたって絶対にやりたいことが2つあったんです。

ひとつは、うちらしい「カッコいい」ビジュアルをつくるってことと、ブログを始めるということ。

そしてどちらも実現しました。

トップページを見てくれた方はわかったかなと思いますが、めちゃくちゃカッコいいビジュアルが完成しました。

そして、このブログですね笑

 

僕、ツイッター @glassydesign をやっているんですが、自分の想いや考えを言葉にするのはどちらかというと好きな方だと思います。実際に、仕事でも常に言語化が求められますし、デザイナーの仕事のほとんどは言語化からなってると言っていいんじゃないかなと。

 

もちろんそれが簡単じゃないんですけれど笑

 

このブログでもツイッター同様、ありのままの気持ちや想いを言葉にできたらなと思っていますので、最後まで読んでくれたら嬉しいです。

 

飲食店店長からデザイナーになれた理由

 

僕は千葉県出身で、ここ山形新庄に移り住んだのは今から20年くらい前になります。

今、44歳です。

もともと飲食業に携わっていて、いずれは「自分の店をやりたい!」「やるんだ」とずっと思ってました。今でも親交のある当時の友人にも「あの頃は熱かったよねー」と言われますよ笑

そんな若い若いまだ20代の若者が、あるきっかけで山形新庄の飲食店で働くこととなるんですが、正直2、3年で千葉に戻る気でいました。

 

その頃の感覚はこんな感じ「ウェーイ!雪サイコー!」

 

完全に甘々でしたけどね。

観光気分も2シーズンくらいまでだったでしょうか、それからは雪の厳しさを思い知らされました笑。

 

新庄で3年も飲食店に勤めてれば、顔は売れるもの、知り合いはめちゃくちゃ増えましたね。本当。

調べてはないですが、肌感で当時の新庄市内では1、2の人気店だったと思います。

それぐらい忙しかったし、すごく楽しかった。

やりがいは相当なものでしたよ。

 

メニュー開発、空間づくり、企画やイベント、広告まで、何もかも、全部自分たちでつくるスタイルの店でした。店長兼プロデューサー的な役を任されてからは、マネジメントにも深く関わりました。

仕事の考え方や在り方、基礎は飲食業での経験が大きいです。間違いなく、僕の原点は飲食業にあリます。

 

当時パソコンなんて触ったこともなかった自分が、独学でお店のメニューやチケット、ポスターなど作っては、お店を利用するお客さんの反応を見て、また作っては反応を見てというように、トライアンドエラーを現場でひたすら繰り返す日々が、その後のデザイナーとしてやっていくために大切な「視点」を養うことに自然とつながっていたんだと今はそう思います。

 

 

飲食店での経験が今の僕自身に大きな影響を与えてるんです

 

一般的には、デザイナーとエンドユーザーとの間には大抵オーナーや依頼者がいます。100%エンドユーザーの反応や要望に応え形にするというのは中々難しいことです。お客様ファーストとは言えど、やはり依頼者である以上クライアントファーストにならざるを得ないのが現実です。その点、僕の場合、制作の基礎を積む時点から実際に現場で反応や声を自分の目と耳で確認しながら、成功失敗体験を得られたことは本当に貴重な経験でした。

メニューなら、最初に注文して欲しい商品をどこに配置して、どんな言葉だと効果的か?、ポスターなら、店内のどの場所に掲示すると一番効果的か?などなど。デザイン制作において、一文字や1ミリの違いが成果に与える影響の大きさを知ったのもその時です。

 

それこそ、接客業が染み付いていた僕にとっては、駆け出しデザイナーがぶち当たるようなコミュニケーションの壁というのが無かったのもそのおかげですかね笑。

 

サービスの基本、考え方は、千葉でバーテンダーをやっていた頃に叩き込まれたし、学んだすべてが僕自身のベースになっていると言っていい。企業の社長から、クラブのママ、政治家から裏社会の人まで、朝5時まで営業していたバーにはいろいろな人間が訪れ、そしてさまざまな物語がありましたね。

ここでは書けないようなこともたくさん笑

 

 

 

 

そうして、駆け出しデザイナーになってから磨かれるべき基礎的経験やスキルのほとんどを飲食業で養いました。

でもやっぱり一番は「人」に恵まれたことかなと思っています。

 

そして2007年、28歳。

たくさんの人のサポートや応援があって、僕は大好きだった飲食業を離れ、未経験でデザイナーの道へ挑戦することに。

ここ新庄という地で、フリーランスデザイナーとしてスタートしたんです。

 

続きはまたいずれ